長いこと書いてなかったなぁ
2010年1月11日年始が忙しかった。
やっと暇ができたと思えば、今度はパソコンを買いなおすことになってあれこれやってたらもう今年も10日が過ぎた。
ということでちょっと休みがちになるな日記は。
やっと暇ができたと思えば、今度はパソコンを買いなおすことになってあれこれやってたらもう今年も10日が過ぎた。
ということでちょっと休みがちになるな日記は。
いよいよ年末
2009年12月30日ちょいと早い年越しそばを食べに出かけた30日。
今年を軽く総括してみれば、中身が大してないために総括と呼べるものはない。
働いて、飲みにって、ちょっと勉強しての繰り返し。
そういうわけで、明日飲みにいくべ。
やることないし。
今年を軽く総括してみれば、中身が大してないために総括と呼べるものはない。
働いて、飲みにって、ちょっと勉強しての繰り返し。
そういうわけで、明日飲みにいくべ。
やることないし。
夏目漱石『門』について その1
2009年12月29日『門』という作品は如何様にも読み取れる。
例えば、仲むつまじい夫婦という視点に重点を置ける作品でもある。
一方で世間と断絶した、暗い日々を送る夫婦という視点を重点における作品でもある。
夫婦をポジティブな方向に、またはネガティブな方向にどちらでも読み取れる。
だから、大局的にこの作品を見ようとしたら、かなり多角的な見方が必要だ。
また、結論を語ろうとしても、これは暗い話だ明かるい話だと断定的に決め付けるのはかなり難しい。
そう考えていくと、とりあえずポジティブだ、ネガティブだとかいう話をする前に、明と暗の二項対立の軸となっているのは何かと考えてみることが先決じゃないかと思う。
その二項対立の軸となっているのは、個人主義だ。
例えば、夫婦が個人主義という思想を貫き通した達成感の喜びの作品として『門』を見ていくと、これはポジティブに方向に動く。
逆に個人主義にまつわる人間関係の問題である「公と私」や「私と私」に悩む夫婦として『門』を読んでいくと、これはネガティブの方向に動く。
じゃぁ、漱石の個人主義ってどんな考えなのだろうか。
この作品を読むにはそこから始めるのがいいんじゃないかと思う。
次回に続く。
例えば、仲むつまじい夫婦という視点に重点を置ける作品でもある。
一方で世間と断絶した、暗い日々を送る夫婦という視点を重点における作品でもある。
夫婦をポジティブな方向に、またはネガティブな方向にどちらでも読み取れる。
だから、大局的にこの作品を見ようとしたら、かなり多角的な見方が必要だ。
また、結論を語ろうとしても、これは暗い話だ明かるい話だと断定的に決め付けるのはかなり難しい。
そう考えていくと、とりあえずポジティブだ、ネガティブだとかいう話をする前に、明と暗の二項対立の軸となっているのは何かと考えてみることが先決じゃないかと思う。
その二項対立の軸となっているのは、個人主義だ。
例えば、夫婦が個人主義という思想を貫き通した達成感の喜びの作品として『門』を見ていくと、これはポジティブに方向に動く。
逆に個人主義にまつわる人間関係の問題である「公と私」や「私と私」に悩む夫婦として『門』を読んでいくと、これはネガティブの方向に動く。
じゃぁ、漱石の個人主義ってどんな考えなのだろうか。
この作品を読むにはそこから始めるのがいいんじゃないかと思う。
次回に続く。
やっと休みが
2009年12月26日明後日らしい。
日記は明後日なったら本気だすと思う。
しかし、嫌な客にあった。
文句いいたいだけだろっていう感じの人。
俺相手にストレス発散は勘弁してください。
日記は明後日なったら本気だすと思う。
しかし、嫌な客にあった。
文句いいたいだけだろっていう感じの人。
俺相手にストレス発散は勘弁してください。
体を酷使
2009年12月25日本当、最近は勤労、勤労、勤労で疲れがやばいです。
外回り嫌いじゃないけど、そのせいでもう体が微妙に悲鳴をあげてる。
日記は書きたいけれども、体力的に手が進まない。
頭を使ったなんかごちゃごちゃしたものもかける気があんまりしない。
最近自分の友達とのskypeでは外国人参政権の話題が多い。
中身はネットウヨク的なもの。
言いたい事はわかる。
俺も心情は同様に若干右よりだ。
とはいえ、とりまく環境っていうものを考慮せずに、ただただ民族主義的なこと言っても時代錯誤もはなはだしい。
例えば、少子化が叫ばれる中で、前にどっかの経団連あたりの人が「このまま労働人口が減ってきては、世界と戦うことはできない」みたいな趣旨をいってたのを前に目にした。
今も、外国人労働者っていうのは結構多い。
特に、こういう円高の時期なら尚更自国に円を持って帰れば一財産だろう。
で、今の少子化がこのまま推移していくと仮定した上で、今の企業パワーっていうものを維持しようとすれば、そりゃ外国人雇わないとどうしようもない。
政府もそりゃ、少子化対策はやっているけど、根本的な問題のひとつとして多様化する家族モデルっていうのがあるんじゃないか。
今やろうとしている子ども手当で金に困りながらも子どもを産もうとする世帯が子どもを産むけっかけにはなるかもしれない。
だけど、人間の心理で別に子どもいらないって思う人だとか、夫婦の生活をのんびり過ごした方がいいとかいう人結構いるだろうし、むしろ自由を叫ぶ現代なら、子どもが産める環境であっても産まない自由っていうのを考慮してなきゃならない。
こんな具合で、そもそも産まなくても何とかなる国づくりっていうのを考えた後に、できれば子ども産んでくださいって言わないと、そりゃ、年金問題みたいな話になりますって。
次世代の年金積み立てがないと、今の世代の年金が保障できないみたいな話にね。
話がずれたけど、少子化がほぼ確実に進んでいく今を鑑みて、外国人の日本国内への流入増が予想されるなら、そりゃ、外国人参政権の一つや二つ叫ばれても仕方ないし、むしろ自然だ。
もちろん参政権の目的はこれだけじゃないだろうけど、あんまり邪推しすぎても仕方がない。
こう考えていると、結構世間って外国で死に掛けている人がたくさんいる映像は可哀相、でも自分の利害なると嫌だとかいう、みっともないダブルスタンダードに見えるんだよなぁ。
ま、ここまで書いていて何で自分が右よりなの?って話になるかもしれないけど、それは一応帰化しようと思えば日本にも帰化制度あるんだからそれを利用すればいいじゃんって思うそれだけの理由なんですけどね。
あくまで参政権だけの話だけど。
外回り嫌いじゃないけど、そのせいでもう体が微妙に悲鳴をあげてる。
日記は書きたいけれども、体力的に手が進まない。
頭を使ったなんかごちゃごちゃしたものもかける気があんまりしない。
最近自分の友達とのskypeでは外国人参政権の話題が多い。
中身はネットウヨク的なもの。
言いたい事はわかる。
俺も心情は同様に若干右よりだ。
とはいえ、とりまく環境っていうものを考慮せずに、ただただ民族主義的なこと言っても時代錯誤もはなはだしい。
例えば、少子化が叫ばれる中で、前にどっかの経団連あたりの人が「このまま労働人口が減ってきては、世界と戦うことはできない」みたいな趣旨をいってたのを前に目にした。
今も、外国人労働者っていうのは結構多い。
特に、こういう円高の時期なら尚更自国に円を持って帰れば一財産だろう。
で、今の少子化がこのまま推移していくと仮定した上で、今の企業パワーっていうものを維持しようとすれば、そりゃ外国人雇わないとどうしようもない。
政府もそりゃ、少子化対策はやっているけど、根本的な問題のひとつとして多様化する家族モデルっていうのがあるんじゃないか。
今やろうとしている子ども手当で金に困りながらも子どもを産もうとする世帯が子どもを産むけっかけにはなるかもしれない。
だけど、人間の心理で別に子どもいらないって思う人だとか、夫婦の生活をのんびり過ごした方がいいとかいう人結構いるだろうし、むしろ自由を叫ぶ現代なら、子どもが産める環境であっても産まない自由っていうのを考慮してなきゃならない。
こんな具合で、そもそも産まなくても何とかなる国づくりっていうのを考えた後に、できれば子ども産んでくださいって言わないと、そりゃ、年金問題みたいな話になりますって。
次世代の年金積み立てがないと、今の世代の年金が保障できないみたいな話にね。
話がずれたけど、少子化がほぼ確実に進んでいく今を鑑みて、外国人の日本国内への流入増が予想されるなら、そりゃ、外国人参政権の一つや二つ叫ばれても仕方ないし、むしろ自然だ。
もちろん参政権の目的はこれだけじゃないだろうけど、あんまり邪推しすぎても仕方がない。
こう考えていると、結構世間って外国で死に掛けている人がたくさんいる映像は可哀相、でも自分の利害なると嫌だとかいう、みっともないダブルスタンダードに見えるんだよなぁ。
ま、ここまで書いていて何で自分が右よりなの?って話になるかもしれないけど、それは一応帰化しようと思えば日本にも帰化制度あるんだからそれを利用すればいいじゃんって思うそれだけの理由なんですけどね。
あくまで参政権だけの話だけど。
精神をすり減らしたりして
2009年12月12日他人をどうにかさせようってのは神経をすりへらすね。
本当あの野郎は皮肉しか言わないからどうすればいいのかめどが立たない。
嫌いというより、何かもう動物園のサルでも見てる気分だよ。
俺もあまり人のこと言えないが。
本当あの野郎は皮肉しか言わないからどうすればいいのかめどが立たない。
嫌いというより、何かもう動物園のサルでも見てる気分だよ。
俺もあまり人のこと言えないが。
twitterって
2009年12月11日私はやっていないんですけど、アレって多分blogだとかmixiとかあの流れで作られたものだろう。
それで、ゆるいつながりだとか言ってるけど、レスポンスが欲しい、どうすればいいだろううって考えた結果じゃないの?
blogの時代だと、そのレスポンスっていうのが不特定多数からどうしても得られなかったんだろう。
不特定多数がある一つのblogを見た時に興味を引くものって言うわけにはほとんどならないだろう。
その後で出てきたmixiというところまで行くと、その点を特定多数の人間から見てもらうことで解消できたわけだけれども、それでは特定多数の人間がいない人にとってmixiって活用しずらいし、そうなるとmixiの利点なんてないわけだ。
そこでtwitterって言われた時に、chatとblogの中間に位置するものとして、不特定多数と会話する素地が出来上がってるからこそ、今それなりに流行ってるんじゃないの?
別に貶す訳じゃないけど、端的に言えば、あれって専業主婦とかひきこもりとか社会との繋がりが乏しい人用のアイテムじゃないのか?
もっと言えば、今の社会はそういう人が多数派になりつつあるから流行るんだろう。
それで、ゆるいつながりだとか言ってるけど、レスポンスが欲しい、どうすればいいだろううって考えた結果じゃないの?
blogの時代だと、そのレスポンスっていうのが不特定多数からどうしても得られなかったんだろう。
不特定多数がある一つのblogを見た時に興味を引くものって言うわけにはほとんどならないだろう。
その後で出てきたmixiというところまで行くと、その点を特定多数の人間から見てもらうことで解消できたわけだけれども、それでは特定多数の人間がいない人にとってmixiって活用しずらいし、そうなるとmixiの利点なんてないわけだ。
そこでtwitterって言われた時に、chatとblogの中間に位置するものとして、不特定多数と会話する素地が出来上がってるからこそ、今それなりに流行ってるんじゃないの?
別に貶す訳じゃないけど、端的に言えば、あれって専業主婦とかひきこもりとか社会との繋がりが乏しい人用のアイテムじゃないのか?
もっと言えば、今の社会はそういう人が多数派になりつつあるから流行るんだろう。
飲みに行ったおかげで方向性がきまった
2009年12月9日http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51533212.html
これを見て漱石の『中身と形式』を思い出した。
要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容が出来るのではないというわけになる。
富野さん、ガンダムにはいつもお世話になってます。
ガンダムは面白いです、はい。
これを見て漱石の『中身と形式』を思い出した。
要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容が出来るのではないというわけになる。
富野さん、ガンダムにはいつもお世話になってます。
ガンダムは面白いです、はい。
飲んで疲れて寝る
2009年12月8日最近は米軍基地問題がどんどん加速してますね。
色んな点から見ると、必ずしもいいとは言えないし、必然とも言えないが、日米安保が不安定な状況になればなるほど、9条改正という流れになるんじゃないかという期待は若干あるよ。
色んな点から見ると、必ずしもいいとは言えないし、必然とも言えないが、日米安保が不安定な状況になればなるほど、9条改正という流れになるんじゃないかという期待は若干あるよ。
肉食って、デザートも食って
2009年12月6日比較的のんびり暮らした一日だった。
この日記って多分自分で後から見直した時に、何やってんだろうなと思うだろうな。
後悔はないんだけど。
明日は色々やることが多いな。
あぁ面倒。
この日記って多分自分で後から見直した時に、何やってんだろうなと思うだろうな。
後悔はないんだけど。
明日は色々やることが多いな。
あぁ面倒。
漱石の引用再び
2009年12月4日『門』より。
社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背を向けた結果にほかならなかった。外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。彼らの生活は広さを失なうと同時に、深さを増して来た。彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を掘り出した。彼らの命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。
例えば、『明暗』だとか、『こころ』だとか、漱石が描く夫婦とはどこか隔たりがあるものだ。
それを「一つの有機体」とまで書いてしまった『門』ではそこはかとなく矛盾を感じる。
夫婦とは前近代的な強固なものではなくなったからこそ、「一つの有機体」と言えなくなってしまったのだ。
『門』で描かれる夫婦とは今で言う浮気だとか、不倫だとかの関係から始まったわけだ。
それは近代的な人間関係の変化なのだ。
そのために非道徳の彼らは世間から突き放されて「一つの有機体」となったのであるが、それは同時に浮気だとか不倫だとかされることも十分にありえる。
前近代的な夫婦の関係であれば、そういう疑いもなかったわけだが。
作業中だからこんなもんで。
社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背を向けた結果にほかならなかった。外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。彼らの生活は広さを失なうと同時に、深さを増して来た。彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を掘り出した。彼らの命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。
例えば、『明暗』だとか、『こころ』だとか、漱石が描く夫婦とはどこか隔たりがあるものだ。
それを「一つの有機体」とまで書いてしまった『門』ではそこはかとなく矛盾を感じる。
夫婦とは前近代的な強固なものではなくなったからこそ、「一つの有機体」と言えなくなってしまったのだ。
『門』で描かれる夫婦とは今で言う浮気だとか、不倫だとかの関係から始まったわけだ。
それは近代的な人間関係の変化なのだ。
そのために非道徳の彼らは世間から突き放されて「一つの有機体」となったのであるが、それは同時に浮気だとか不倫だとかされることも十分にありえる。
前近代的な夫婦の関係であれば、そういう疑いもなかったわけだが。
作業中だからこんなもんで。
一人でサウナ
2009年12月2日考え事があると一人で銭湯に行って汗を流すことにする。
結構物事ってその場の気の持ちよう次第でなんとでもなる。
その気を持たせるために銭湯。
近場の銭湯が10時で開くはずだから、そろそろ見に行ってみるかな。
結構物事ってその場の気の持ちよう次第でなんとでもなる。
その気を持たせるために銭湯。
近場の銭湯が10時で開くはずだから、そろそろ見に行ってみるかな。
前回は『行人』からの引用だった
2009年12月1日分った人はいるのだろうか…。
今回は『坑夫』から引いてみよう。
暗い所から一歩立ち退いた意味になる。ところがこの立退が何となく嬉しかった。その後いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到る所に転がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。
頭に描いた理想であったり、目的であったりというものは、時として人間の自然に表れる思惑から外される。
かなり今風に崩せばツンデレみたいなものだ。
こういうのは様々なところで流用されるだろう。
本当の自然主義というものはあったのだろうかという問いにも繋がってくる。
ノンフィクション作品という意味では自然主義はあったのだろうが、フィクションの場合…この問いを答えるのは難しい。
例えばプロレタリア文学のようにある思想を一貫して進めた文学ならこういった問いも意味を無くすけど。
そういえば『とある魔術の禁書目録』のアニメを少し見た。
四話でギブアップ。
自分がいい年こいてると、あれは見てて恥ずかしいわ。
車を運転中、おもいっきり幹線道路を逆走した車を見た。
なにやってんだか。
今回は『坑夫』から引いてみよう。
暗い所から一歩立ち退いた意味になる。ところがこの立退が何となく嬉しかった。その後いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到る所に転がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。
頭に描いた理想であったり、目的であったりというものは、時として人間の自然に表れる思惑から外される。
かなり今風に崩せばツンデレみたいなものだ。
こういうのは様々なところで流用されるだろう。
本当の自然主義というものはあったのだろうかという問いにも繋がってくる。
ノンフィクション作品という意味では自然主義はあったのだろうが、フィクションの場合…この問いを答えるのは難しい。
例えばプロレタリア文学のようにある思想を一貫して進めた文学ならこういった問いも意味を無くすけど。
そういえば『とある魔術の禁書目録』のアニメを少し見た。
四話でギブアップ。
自分がいい年こいてると、あれは見てて恥ずかしいわ。
車を運転中、おもいっきり幹線道路を逆走した車を見た。
なにやってんだか。
書くことないから、漱石のアレを一部流用
2009年11月30日状況に応じて言いたくても言えない言葉が人間にはある、という言葉を言い換えるなら、状況に応じて言いたくないことを言える言葉が人間にあることもまた同義になる。
これを漱石は技巧という。
上記のようなことを書いた。
しかし、真実ってそんなに明るいものでもないよ…と思う。
あー仕事疲れた。
のんびりしたいな。
これを漱石は技巧という。
上記のようなことを書いた。
しかし、真実ってそんなに明るいものでもないよ…と思う。
あー仕事疲れた。
のんびりしたいな。
お前、それでいいのか
2009年11月29日久しぶりに姉にドン引きした。
女ってヒス入ったら、本当に手をつけられない。
なんというか年を取るにつれて、打算的になっていく。
それを事実として認めるか、認めないかが正念場だな。
いろんな意味で。
女ってヒス入ったら、本当に手をつけられない。
なんというか年を取るにつれて、打算的になっていく。
それを事実として認めるか、認めないかが正念場だな。
いろんな意味で。
それは形式だろう、趣旨を答えよ
2009年11月28日タイトル失念しましたが、ある本とある本の中身が非常に被った。
ライトノベルだった。
読後感としては、最近の本ってこんなのなのかなぁと思った。
別に悪いとは言わない。
一応、舞台であるとか細かい設定は違うわけだから。
でも趣旨って一緒じゃないの?
なんというか、江戸時代とかの文学で勧善懲悪物が多すぎて近代文学で、一気にその風潮を反転させたのを思い出すよ。
はっきり言って、エロいわけでもなく、熱いわけでもなく、のんべんだらりとしたライトなほほえましさがほとんどって…何を求めてるのか良くわからないよ。
んで、それをキャッキャッ言ってる層が居るんだろうな…。
意味のわからない大量生産の形式を楽しんで、いいのだろうかそれで。
そんな自分は最近フランス書院買いましたよ。
ただ一回でおなかいっぱいだわ。
ライトノベルだった。
読後感としては、最近の本ってこんなのなのかなぁと思った。
別に悪いとは言わない。
一応、舞台であるとか細かい設定は違うわけだから。
でも趣旨って一緒じゃないの?
なんというか、江戸時代とかの文学で勧善懲悪物が多すぎて近代文学で、一気にその風潮を反転させたのを思い出すよ。
はっきり言って、エロいわけでもなく、熱いわけでもなく、のんべんだらりとしたライトなほほえましさがほとんどって…何を求めてるのか良くわからないよ。
んで、それをキャッキャッ言ってる層が居るんだろうな…。
意味のわからない大量生産の形式を楽しんで、いいのだろうかそれで。
そんな自分は最近フランス書院買いましたよ。
ただ一回でおなかいっぱいだわ。