生きていると、大体ほめられることよりも怒られることのほうが多い。
日本だからなのかはわからないけれど、多くの人は怒られても「何だこいつ」と思いつつも下手というか卑屈というかそういう態度に出るんじゃなかろうか。
周りと話してると結構そういう印象を受ける。
自分にそんなに否がない場合でもそうなりがちだ。
自分などは特にそうで、とりあえず、下手に出る。
人といざこざを起こすのが面倒だからそうなる。
自分もあんまりいい気はしないし、相手もいい気はしない。
加えていえば、周りの雰囲気もよくなくなると思うとなんか問題を解決することなんざ後回しでいいんじゃないか、そう考えてしまう。
大体、その問題なんかもよく考えればたいしたことのないことだったりするし。
自分の場合、更に思い込みが強いために、時に怒られる時など、自分に否がなかった場合だったとしても、どこか自分に否があったのかしらと思うことまである。
どういうことかといえば、何か真剣さがないように思いこんでしまう。
気迫のようなもので、怒られるという出来事を抑えこめれるのではなかろうかと思うことが、度々ある。
例えば学校であれば何かの試験に合格すればいいんだろう。
仕事であれば失敗しなければいいんだろう。
しかし、あまり社会性がないんではなかろうかと思い込んでいる身としては、何か意味のわからない怒られ方をされた時にさえ、自分の本質的な所で原因を抱えているのではなかろうかと思ってしまう。
だから真剣さが何よりも優先されるのではないだろうかと最近思った。
どんなに「くだらないことやってんな」と思うことでも、
「真剣にやってます、命かけてます」ぐらいの気迫でこられたら、
「浅はかな目で見てしまってすいません」ぐらいの気にさせられてしまうんだな、自分は。
だから下手をすると、周りが中二病きめぇという事柄が誰かがしていても、そういう気迫さえあれば、自分は尊敬するかといわれれば、尊敬しないだろうけど畏怖ぐらいはするのではなかろうか。
一見恥ずかしいことでも、そうされると敵わない。
なんでこんなこと書くのかっていえば、仕事場で自分とはあんまり関係ない人が、その人の部下に怒鳴り散らしてたのを昨日見てしまったわけです。
周りの人に聞けば、その人が来るたびそういう具合らしい。
そして恐らく何の怒ったことに対してのフォローをしていない人らしいので部下の人はしょっちゅうコロコロ変わってるらしい。
そりゃだめだわ。
いい年とってその態度じゃ、先が見えるぞ。
やっぱり日本では言ったもの勝ちらしい気がする。
機先を制して、気持ちを掌握するのは上司の一つの部下の接し方のテクニックの一つらしいが、自分の年じゃ、まだまだ起こられる立場だろうから、やっぱり重要なものは気迫なんだろうね。
また夜に何か書くかも。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

最新のコメント

この日記について

日記内を検索