分った人はいるのだろうか…。
今回は『坑夫』から引いてみよう。

暗い所から一歩立ち退いた意味になる。ところがこの立退が何となく嬉しかった。その後いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到る所に転がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。

頭に描いた理想であったり、目的であったりというものは、時として人間の自然に表れる思惑から外される。
かなり今風に崩せばツンデレみたいなものだ。
こういうのは様々なところで流用されるだろう。
本当の自然主義というものはあったのだろうかという問いにも繋がってくる。
ノンフィクション作品という意味では自然主義はあったのだろうが、フィクションの場合…この問いを答えるのは難しい。
例えばプロレタリア文学のようにある思想を一貫して進めた文学ならこういった問いも意味を無くすけど。

そういえば『とある魔術の禁書目録』のアニメを少し見た。
四話でギブアップ。
自分がいい年こいてると、あれは見てて恥ずかしいわ。

車を運転中、おもいっきり幹線道路を逆走した車を見た。
なにやってんだか。

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