漱石の引用再び
2009年12月4日『門』より。
社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背を向けた結果にほかならなかった。外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。彼らの生活は広さを失なうと同時に、深さを増して来た。彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を掘り出した。彼らの命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。
例えば、『明暗』だとか、『こころ』だとか、漱石が描く夫婦とはどこか隔たりがあるものだ。
それを「一つの有機体」とまで書いてしまった『門』ではそこはかとなく矛盾を感じる。
夫婦とは前近代的な強固なものではなくなったからこそ、「一つの有機体」と言えなくなってしまったのだ。
『門』で描かれる夫婦とは今で言う浮気だとか、不倫だとかの関係から始まったわけだ。
それは近代的な人間関係の変化なのだ。
そのために非道徳の彼らは世間から突き放されて「一つの有機体」となったのであるが、それは同時に浮気だとか不倫だとかされることも十分にありえる。
前近代的な夫婦の関係であれば、そういう疑いもなかったわけだが。
作業中だからこんなもんで。
社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背を向けた結果にほかならなかった。外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。彼らの生活は広さを失なうと同時に、深さを増して来た。彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を掘り出した。彼らの命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。
例えば、『明暗』だとか、『こころ』だとか、漱石が描く夫婦とはどこか隔たりがあるものだ。
それを「一つの有機体」とまで書いてしまった『門』ではそこはかとなく矛盾を感じる。
夫婦とは前近代的な強固なものではなくなったからこそ、「一つの有機体」と言えなくなってしまったのだ。
『門』で描かれる夫婦とは今で言う浮気だとか、不倫だとかの関係から始まったわけだ。
それは近代的な人間関係の変化なのだ。
そのために非道徳の彼らは世間から突き放されて「一つの有機体」となったのであるが、それは同時に浮気だとか不倫だとかされることも十分にありえる。
前近代的な夫婦の関係であれば、そういう疑いもなかったわけだが。
作業中だからこんなもんで。
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